人はみんな繋がっている
人はみんな繋がっている。 見えない糸で繋がっている。 音楽は、それを僕らに思いださせてくれる。 僕の波動が君に伝わり、君の波動が僕に返って来る。 だから僕は・・・
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これって、霊の声? それとも、幻聴?
仲の良い友人の嫁さん(○○子ちゃん)が亡くなって、かれこれ一ヶ月が経った。

十数年前、よく一緒に遊びまわっていた奴、といっても女(○美)だが、そいつから花を持って線香でもあげに行きたいからついてきて欲しいと連絡があった。
僕自身、気がかりでもあったので、快く承諾したのだった。

もう一人、8年ぶりくらいに、その○○子ちゃんの通夜で会ったことがきっかけで、今、一緒に仕事をしてもらっている友人(□彦)も行くというので、三人連れ立って線香をあげに行くことになった。

昔よく行った懐かしいケーキ屋で、何か買って行こうということになった。
日持ちのするものを買えばいいものを、シュークリームを筆頭に、自分たちが食べたかったものばかり買ってしまった。
厳密に言うと、僕と□彦が食べたかったもの・・・○美には、「これやから、あんたら2人には任せられへん、一緒について行くんやったわ」と後から散々ぼやかれた。

仏壇は、隣家の祖父母の家にあるとのことだったのだけど、洋ダンスの上に遺影と線香セット?をのせて、いつでも拝めるようにしてあった。
とりあえず、その前にお供えして、○美が”チン、ちぃーん!“と鳴らして拝みだした。

僕は、そういった形式的なことはあまりやりたくない方なので、後ろで遺影を覗いていた。
そしたら、何かよどんだ空気と、圧力のようなものを感じてきた。そして、「あぁ、きっとここに○○子ちゃんがいるんだな」って思った。

後ろで待っていた、□彦も拝み終わって、一息ついたころ、「生ものだし、早く食べたほうがいいよな」って考えてたら、「食べて良いよ!」っていう声が聞こえてきた。
「そっ、そんなバカなぁー」って思ったけど、亡き○○子ちゃんの声のようだったし、続けて、また「食べて良いって・・・」と聞こえてきたので、「あっ、なんか、食べてっていってるでぇ」とみんなに言ったら、なんか僕自身が早く食べたがってるんだと思われてしまった・・・確かに、早く食べたかったのも事実ではあるのだが・・・。

少し間をおいてから、今度は、「元気ぃ?」って聞かれたので、思わず声に出して、「おう、元気やよ!」と言ってしまった。
「オマエ、誰と話してるねん!」・・・「いや、せやから○○子ちゃん・・・」・・・なんか、よくある悪ふざけの冗談みたいな会話で終わってしまったけど・・・ぜぇーんぶ、本当のこと。

ただ、それが、本当に○○子ちゃんの声だったのか、僕が勝手に創り出した幻聴だったのかなんて、分からないし、証明もできないんだけどね。


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テーマ:スピリチュアル・ライフ - ジャンル:ライフ

感謝しよう!
いつも頑張ってくれている、僕らの60兆個の細胞、一つひとつに感謝しよう!

ふだん、当たり前のように歩き、暮らしているときには、まったく忘れてしまっているけど、細胞の一つひとつが元気に頑張り続けてくれているからこそ、何も考えずに生活ができている。
いや、それどころか、とるにたらない悩みを持つことができるのも、細胞たちの活躍のおかげだ。

だから、たまには、鏡の前で、自分自身を抱きしめて、「いつも、ありがとう!」と言って、自分自身に感謝し、癒してやろうよ。

ここに、もしかすると世界一、感謝するのが上手な女の子の話を紹介しよう。

その子の名前は雪絵ちゃん。ペンネームは「すのう

雪絵ちゃんは、MS(多発性硬化症)という病気を患っている。
MSとは、高熱が出るとそのあと目が見えなくなったり、手足が動かなくなったりする病気。
二ヶ月ほどリハビリをすると元のように動かせるようになるのだけど、それでも完全には回復してくれない。
そして、発熱を繰り返すたびに、杖が必要になったり、小さな字が見えにくくなったりしていく。
未だ、有効な治療法が確立されていない難病だ。

雪絵ちゃんは、この病気にかかったことを恨むどころか、この病気を患ったことに感謝すらしている。
MSにならなければ、知り合えなかった素晴らしい人たち、体験できなかったことがたくさんあったから・・・。

そんな雪絵ちゃんが、こんな詩を書いている。


『ありがとう』

「私、決めていることがあるの。

この目が物を映さなくなったら目に、
そして、この足が動かなくなったら足に、

「ありがとう」って言おうと決めてるの。

今まで見にくい目が一生懸命「見よう、見よう」としてくれて私を喜ばせてくれたんだもん。
いっぱい素敵な物、いろんな物見せてくれた。
夜の道も暗いのに頑張ってくれた。

足もそう。
私のために信じられないほど歩いてくれた。
一緒にいろんな所へ行った。
私を一日でも喜ばせようとした目も足も頑張ってくれた。」

天外伺朗の『「悩み」生き方のサイエンス』より抜粋)


『誕生日』

私、今日生まれたの。
一分一秒のくるいもなく、今日誕生しました。

少しでもずれていたら、今頃健康だったかもしれない。

今の人生を送るには、一分一秒のくるいもなく生まれてこなければいけなかったの。

結構これって難しいんだよ。

十二月二十八日、私の大好きで、大切で、しあわせな日。
今日生まれてきて大成功!
「すのう」に生まれてきて、これもまた大成功!

山元加津子の『本当のことだから “いつかのいい日のため”の宇宙の秘密』より抜粋)


『誕生日』という、雪絵ちゃんの詩を著書で紹介してくれている山元加津子さんは、雪絵ちゃんが通っていた養護学校の先生でもあります。
そんな山元さんがこの詩について、こんなコメントをされています。

「すのう」は雪絵ちゃんのペンネームです。「すのう」に生まれてきて、大成功、雪絵に生まれてきて本当によかった、一分一秒もくるわずに、この雪絵に生まれてきたからこそ、素敵な友だちに出会い、素晴らしい「雪絵の冒険物語」を歩んでいるよと雪絵ちゃんはきっと言いたかったのでしょう。
(山元加津子の『本当のことだから “いつかのいい日のため”の宇宙の秘密』より抜粋)


雪の季節に生を受け、そしてまた雪の季節、
2003年12月26日に雪絵ちゃんは雪とともに去って行った・・・。

僕らの胸に、温かいものを残して・・・。

人は皆、生まれてきたというただそれだけで意味がある。
たとえそれが、どんな形であったとしても・・・。

そしてその意味を決めるのは、あなた自身。

いや、もしかすると、生まれる前に、その意味を決め、同意した上でこの世に生れ落ちたのかも知れない。
ただ、そのことを忘れているだけで・・・。


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人は、生きているんじゃない、生かされているんだ!
誰にでも、自分とは思えないような力が出たり、何もしていないような感覚だったのに、気が付けばすべてが終わっていた。なんてことが、一度や二度は、あるんじゃないだろうか。

たとえば、競技会や演奏会で、自分の実力をはるかに超えた競技や演奏ができたこと、あるいは、火事場のクソ力みたいに、自分の筋力をはるかに超えた力で物を動かせたこと・・・。

多くの人が、語り継いでいる僕の好きな逸話に、こんなのがある。



ある男が浜辺に横たわり、ぼんやり空を見上げていた。

すると、今まで自分は人生の道をどうやって歩いてきたかが、走馬灯のように浮かんできた。

そして、男がその道のりを振り返り、見たとき、そこに二つの足跡があることに気がついた。

男はこう思った。
「そうか、僕は、神さまと一緒に歩いていたんだな」

ところが、道のところどころで、足跡がひとつになっていることに気がついた。
足跡がひとつになっているのは、自分が苦しんでいたとき、悲しい思いをしていたときだった。

男は、空を見上げて、こういった。
「神さま、どうして僕がつらいとき、悲しいときに、お見捨てになったのですか」

そのとき、空からこんな声が聞こえてきた。
「子よ、それは違う。オマエが苦しいとき、悲しいときに、私はお前を背負って歩いていたのだよ。だから、足跡がひとつなんだ」

(作者不詳、斎藤一人の『ツイてる!』より抜粋、加筆)


人は、生きているんじゃない、生かされているんだ!

あらゆるものの力を借りて、・・・ある時は人、ある時は自然、そして、ある時は目に見えない不思議な力によって、僕たちたちは助け合い、協調しあって生きている。

目に見えないものの力を、ある人は神と呼び、ある人はサムシンググレートと呼ぶ。また、大いなる無意識とか集合的無意識という人もいるだろう。

そういった、目に見えないものの力なんて、信じられないという人は、少しリラックスして考えて欲しい。

一人の人間は、約60兆個もの数の細胞で構成されている。
そして、その60兆個の細胞、一つひとつが、独立した呼吸活動をしている。
つまり、個々人は、ひとつの意識に統合されているけれど、実際には60兆もの生命体の集合で、それらの細胞たちが協調して生かしてくれているのだ。
個々の僕たちは、通常は、ひとつの意識に統合されているから、自分という概念を持つことができているけど、意識がひとつしか感じられないからといって、自分がひとつの存在だなんて、考えほどナンセンスなものは無いんじゃないかな。

これを踏まえて、地球というものを考えてみたなら、約60億の人の意識が協調して、地球という惑星の意識を創り上げているとも考えられるよね・・・そこには、草木や動物の意識も入っているのかも・・・。

そして、それはまた、銀河という意識から、無限の大宇宙へと繋がっている。

上に紹介した逸話で、もうひとつ言っていることがある。
それは、もしも、神さまが存在するならば、神さまは、その人が乗り越えられないような試練は、決して与えないということだ。

僕は、こう考えている。
人は、生まれてから死んでいくまで、常に、二者択一を迫られ続ける。
どちらを選択するのか、迷ったときには、一瞬、いっしゅんの素直な内面の気持ちに従った方が良い。
一見、困難そうに思えても、そうしたいと思えることがあったなら、チャレンジしてみるべきだ。
それは、一見、困難そうに見えていても、きっと予期せぬ人や時代の変化に助けられて、きっと乗り越えることができる。

神様がいるのかどうかなんて僕には分からないけれど・・・僕は見えない意識の力を信じているし、常に感じて生きている。

存在するもの、存在しないもの、見えるもの、見えないもの、すべてを愛して生きて行けたなら、きっと、幸せに生きて、幸せに死んで行ける。

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娼婦と聖女の違いってなに?
ダ・ヴィンチ・コード』っていう映画が、今、話題になっている。

僕は、映画はまだ観ていないけど、小説は出たときにすぐ読んだ。
面白い小説で、一気に読み終わってしまったのを覚えている。
ルポライティングタッチのフィクションとでもいうのだろうか、フォーサイスなんかが好きな人には、たまらない作品なんじゃないだろうか。

マグダラのマリアが、実はジーザス・クライストの妻だったのではないかとされている説に基づいて、話は意外な方向へと展開していくのだ・・・。

先日、テレビの特番で取り上げられていた中で、少し気になることがあった。
なんでも、マグダラのマリアは娼婦だと語り継がれてきたが、実は聖女だったのではないかという部分だ。

ジーザス・クライストの妻だったのではないかという説には、同意できるのだけど、こういった人間の一般的?なモラルとその解釈には、どうも賛同したくない。

具体的には、どうして娼婦は聖女ではないのかということだ。

実は、僕も数年前までは、その手の職業の女性を蔑視していた。
だけど、愛するっていったいどういうことなんだろうか・・・そう疑問を持って考えあぐねた結果、考えが180度、変わってしまった。

そう、今では、そういった職業の女性たちを蔑視してないどころか、尊敬の念すら抱いている。

だって、そうじゃないか。彼女たちは、人を選ばず、惜しみなく愛を与えているのだから。
お金をもらっているとはいえ、どんな奴にも惜しみなく愛を与えられるなんて、・・・自分は男だけど、もし女になったとしても、そんなことはできないかも知れない。

お金の授受は別として、どんな人にも同じように愛を分け与えられるなんて、どんなに素晴らしいことなんだろう。

嫉妬、嫌悪、保身、好き嫌い、優越感・・・恥ずかしながら、すべての人を平等に愛したいとは思っているものの、未だにできていないのが自分の現状である。

自分は、キリスト教徒ではないので、これから語る逸話には、間違っている部分もあるかも知れないので、細かい間違いはお許し願いたいのだが、ジーザスと娼婦というと、すぐに思い浮かぶ逸話がひとつある。

それは、民衆が娼婦に石を投げつけている場面に、ジーザスが出くわして、娼婦の壁となり、

「お前たちは、この女を罪人と罵って石を投げているが、己の胸に手を当てて考えてなお、生まれてこのかた一度たりとも罪を犯したことがないといえるものがいるのか?」

といって民衆を諭すという逸話だ。

この先は、自分の勝手な憶測でしかないので、無視するか、一仮説として読み流してもらえるとありがたいのだが・・・僕は、こう考えている。

まず、石を投げられていた娼婦こそが、マグダラのマリアなんじゃないだろうか。
そして、もし、ジーザスが誰にも平等に愛を分け与えていたとするなら、マリアは何人もいた彼の愛人の一人、しかも、彼女は、ジーザスの子を宿していたので、迫害を逃れるためと、ジーザスの正当な継承者が娼婦の子だと認めたくない信者たちによって闇に葬り去られてしまった。

勝手な解釈だが、じゅうぶん可能性のあることなんじゃないだろうか。

最後にお断りしておくが、僕は別に特定の宗教に属してもいないし、批判するつもりもない。

一人の実在した人物として、ジーザス釈迦も尊敬している。

ただ、歴史と宗教が本当の彼らをどこかで歪曲して語り継がれているような気がしてならない。


本当の愛って、ヒットラーマザー・テレサも同じように愛せるということなのじゃないのかな。

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豊かさの定義
久々に晴れ渡った、とっても天気のいい午後だった

仕事なんかホッポリ出して、バイクで外へ飛び出した
ただなんとなく、暖かな風の中を突っ切って、走ってみたくなった

ペダルを漕ぐたびに
わけもなく幸福感が、風とともに襲ってきた

休日の閑散としたオフィス街を走り抜けながら
何故、こんなに幸せな気持ちを感じているんだろうかって考えた

何かを受取れること、誰かに愛されることが
幸せを感じさせてくれるんじゃない

どこからともなく、こころの中に
そう語りかけてくる優しい声

これまでずっと
何かを受取れること、誰かに愛されることを
求めて生きてきたような気がした

だけど本当は

何かを与えられること、誰かを愛せることが
本当の幸せなんだ

だから、
もっと、与えられること、愛せることに感謝しよう!

僕は、世界一、幸せなんだ

なんだかわけの分からない大きな意識に優しく抱きしめられている自分を感じ、感謝し始めたとき、心の奥から涙が止めどなくあふれ出て来た


豊かさって
きっと、何かを人に与えることによって得られるものなんだよね

たとえ、すべてを無くしたとしても・・・

いや、すべてを無くすなんてことはありえないさ
生きてさえいれば
何かを人に与え続けることができるよ

目にすることはできなくても

温かな思いやりは

富んだ人達にも、貧しい人達にも

天から平等に与えられた
分け与えることのできるギフトだ

そして、それは
あなたが人生を終える日まで無尽蔵に
創り続けることができる

あなたさえその気になれば・・・

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